「おれごん」だより

須貝悦子

 明けましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願い致します。オレゴンに来てあっという間に1年たちました。季節の移り変わりを見、町の様子や道路も覚え気の合う友達が出来やっとオレゴンの生活が地について来た感じです。

1年たったオレゴンの印象

@自然の多い所

半分以上が森や山で川や湖も多い。

公園やキャンプ場も多く夏ボート遊びをする人が多い。

@雨の多い所

11月〜4月頃までは毎日の様にしとしと雨が降ったりやんだりして余り良くないオレゴニアンもうつ病になる人が多いとか。

@春はきれい

5月から雨も徐々にやみ6月は花が多く咲き緑も多くすばらしいゴルフ、ピクニック、ドライブと急に外に出る様になり私も一番この時期が好き。

@夏も暑くない

7月〜9月も雨は降らなく乾燥しているので暑いと感じるのは数える位で汗をかくのはめったに無い。9時頃まで明るいので1日が長くのんびり出来る。蚊はいない。

@秋もきれい

10月の紅葉がとてもきれいで2番目に好きな月。

@日本食も困らない

行きつけ3軒の店で何でも買えるが割高なので買わないのも多い

@はっきり言って田舎

自然が多いからではなく町も人も全体的に地味な感じ。

@治安は良い

危ない個所も少なく事件や差別もそんなにない(黒人も少ない)

@日本行きに便利

成田、名古屋、福岡と毎日一往復していて便利だ。

私達は2人だけで細々と暮らしているので前回の様に子供が一緒の時とは随分違っていますがこの土地の気取らず自由な雰囲気が気に入っています。これで雨の時期が短ければいつまでも住みたい所です。

若い人は都会の様な刺激がないからたいくつな所かもしれないが、のんびりした時間を過してみたい方はぜひおいで下さい。


アラスカ旅行日記

アラスカ旅行を決めたのは国内で行った事のない所、費用が安い、オーロラが見たい

カニも食べれそう等の理由でしたが「冬にアラスカへ行くなんてお前達クレイジーだよ」とアメリカ人から言われ「冬はやっぱ南の方が良いでしょう」と日本人からも言われながらも私達は出発した。

12/26 ポートランド〜シアトルのプロペラ飛行機は私達の他に人しかいない(不安)でもシアトル〜アンカレッジは満席だった。半袖を着ている人も大勢いる(安心する)夜11時過ぎアンカレッジに着。レンタカーを借り外に出る「オーマイガーこの寒さは半端じゃない、目が痛い」レンタカーも雪ダルマになっている。30分後やっと車を走らせる。「オーマイガー道路が見えない。標識が見えない。何も見えない」ホテルまで30分で着くところ迷いまよって2時間近くかかって着いた。最初に頭をガツンおやられた感じだ。

12/27 朝10時半頃明るくなって来る。昨夜の様子では外に出られないかもしれないと思いながらカーテンを開ける。車がいっぱい走っている。大きい道路はかわいている。気温マイナス18℃。いっぱい重ね着して市内を廻ってみる。外に10分出ていると顔が痛くなる。昼から南の方2時間ドライブして氷河を見に行く。川や海すべてが凍り氷の岩を登山の様に人間があちこちで登っている。スノーモービルで遊んでいる人も多い。粉雪がまい、虹が出来る。でも何だかへんだ。ここの虹は両端が柱の様にまっすぐ立っている。全体の形は見えないがなぜだろう、雲も手に届く程低い所にある。太陽が頭の上を通らず山をなでる様に横を通り3時半頃しずんでしまう。太陽が出ている時間は4〜5時間だが夕焼けが2時間位消えない。太陽が横に動くからたそがれ時も長いのかな。まったく違う国に来たみたい。それにしても今日会った人達は皆気の良い話し好きの人ばかりだった。みやげ店の日本人店主は飲め飲めとジャックダニエルスペシャルをどんどん注ぎ毛皮屋の0-J ackさんは子供の教育の話しを1時間もした(何も買わなくてすみません)レストランでもインフォメーションセンターでも道をたずねた人も時間をかけて親切に話してくれる。ここの寒さと反対に人々の暖かさを感じる……良い日だった。

12/28 今日は朝9時にアンカレッヂを出発して北緯65度北極圏まで100キロと言うさいはての町フェアバンクス(人口5万)に来た。8時間のドライブお父さんありがとう。道は除雪してあり大丈夫だがゆっくり走った。自然そのものの中をドライブし、ルート3に入ってからは6時間のうち行き交う車はわずか50台位しかなかった。そりゃ観光客が来るとしたらみんな飛行機で来るものね。でもアラスカ山脈を見ながらのドライブはすばらしかった。木は白樺と杉ばかりで雪の重みで曲がっていらっしゃいと私達におじぎをしてくれてる様だ。風が吹くと雪はまい上がりキラキラ光ってとてもきれい途中マイナス31.5度までなった所がある。車内はヒーターで29度位になっているけれど外がマイナス20度をこえると吐いた息で窓が内側から凍る。車を止めてエンジンを切るとみるみるマイナス5度位まで車内がひえる。

夜10時を過ぎ待望のオーロラを見に行った。上下4枚重ね着してその上にコート、靴下3枚、帽子2枚、手袋2枚マフラーとマスク出ている所は目だけだ。それにホカロンも持った。「お父さんのかっこう恐い」と言ったら「お前もだ」と言われてしまった。

オーロラは寒くて晴れた日に出ると聞いた。気温−23℃星が出ているので見えそうな予感がした。町から20分位離れた明かりのない所で「オー出てるじゃないか」とお父さんが帯の様に横につらなったものを指差した「エーこれがオーロラなの」と私「色んな形があるんだよ」と車を進めるとボーとだけど出ている出ている。私のイメージしたオーロラだラッキー! オーロラが見えるか見えないかはその日の天候によるそうで、ここに5日いても見えないときには見えないそうだ。私達は初日に見えたのだ。

40分走ったスキー場まで行くと空がずっと見渡せ、はっきりと色んなオーロラが見えた。オーロラの数は増え一瞬にして形も変えていくので目が離せない。光もどんどん強くなって来て垂れ下がたりツイストするのが見える。色は白と青、緑そしてピンクの様なのもある。一番大きなものは北の山から私達の頭の上までのびて来て垂れ下がりカーテンの様にあちこちで形を変えていったものだった。

「オー神様」と神秘的な光に心が洗われる思いだった。2時迄見てホテルに帰って来た。この感動を子供達に電話で伝える。

12/29 アラスカ大学内にある美術館へ行ってオーロラの事について勉強する。オーロラの発生は、太陽からふき出している太陽風と地球磁場の作用で大真空放電を起こす事らしい。地球の南北で同時に起こり電力にすると10億キロワットという世界の電力一日の消費量に匹敵する分を瞬時に発散しているらしい。もったいない。フェアバンクスでは一年に240日オーロラがでているそうだが、見えるか見えないかは気象条件にかかっている。ところで昨夜話して一緒に見た日本人3人組はもう10回もオーロラを見ているらしい。パチンコ屋のネオンの様にキラキラ輝いて移って行くオーロラを見た時は腰がぬけたと言い、もう一度そう言う のを見たくて毎年来ていると言う事だ。その人に言わせると私達は中の上に値するかなり強いオーロラが見えてラッキーだと言う事だ。でも今夜は曇っていて見えなかった。マイナス18度。「今夜は暖か過ぎるから出ないよ」等と言う言葉が思わず出てしまった。早目に帰って来て主人と花札で遊ぶ。

12/30 今日はオーロラの町にさよならしてアンカレッヂまでもどった。又長いドライブなので主人と追い越される車のナンバーの数字を1ドルずつかけて当てやっこした。71が多い。アラスカで他におもしろい事は月が真横からかけて立っている様に見える事だ。又駐車場にはコンセントがありエンジンルームから線を出していつでも暖めておける事だ。行きに立ち寄って話した店のお兄ちゃんが今度はマッキンレー山の見えるスッポトを教えてくれた「ここから53マイル先だミスするな」と言った。測ったら本当に53マイルの所に広場があ り山脈のむこうに一段とそびえ立っているマッキンレイ(6194m)が見えた。「オーマイがーここだよ絵ハガキにあった景色」その壮大な姿は写真には修めきれない。もう少し遅れれば暗くて見えない所だった。「良かったね、良いものが見えて」としばらく二人で雲がかかるまで見ていた。夜アンカレッヂに着き夕食はキングクラブ、サーモン、カキと少しづつアラスカ名産を食べた。やっぱりおいしい。二人共大変満足した旅だった。

12/31 飛行機が遅れて夜中の2時過ぎにアンカレッヂを発つ。飛行機の中からオーロラが見えるかもしれないと北側の席を主人がとってくれた。見えた!! 帯状の物が近くに、形を変える物が遠くに2ツ。ボーとしているが光が強くなる時は良く見える。父や母が又おいでと手を振ってくれる様な気がする。

この先私達はどこへ移りどうなるかわからないが自然にまかせどんな時も前向きにと言う気持ちになりたいと思います。

1999年皆様に取って良い年であります様お祈り致します。

(この記事は梅田さんに入力をお願いしました。)1999/2/6