皆さんお久しぶりです。 先日(と言っても3月の末になりますが) 幹事より「何か書け」と命令されましたが、何しろ能力不足の上に、毎日が忙しくあっと 言う間に2ヶ月が過ぎようとしています。
 さすがの私も良心の呵責に耐えきれず、夜も眠れず、夜中の2時頃ハッと目を覚ま したりしておりました。(陰では年のせいだと言う声も聞こえますが) このプレッシャ− にも負けず、仕事をしているのはつらいことです。 
 テ−マを絞れ込めずにおりますが、近頃感じたり思ったりしていることを少しづつ 書ければと思っておりますので、読みづらい点はご容赦下さい。  皆さんの中で司馬遼 太郎がお好きな方も多いと思いますが、私もご多分に漏れず大ファンでございます。 
 先日も、ある作家の先生とお会いした折りに、この先生が言いますのには 「司馬遼太郎の様な作家は今世紀には出てこないだろう。」との事で、私も同感でした。 特に先生の明治維新前後の歴史観は、素晴らしいものがあります。それに比較し、 太平洋戦争当時の事は殆ど書いていません。 先生はノモンハン事件の事を書こうとして 苦しんだあげく、遂に書けなかったという逸話が残っております。先生にとって第二次世 界大戦時の日本人のことが、自分自身の体験からも耐えがたかった様です。
 司馬先生が晩 年に語っているところによると、第二次世界大戦当時の日本を称して「平和な国民が、物 狂いしたような狂気に満ちた特異な時代。」といいながら「現在もそれによく似た世相が 見える。」と書いておられます。また、「日本人に求められているものは、武士(ものの ふ)の心ではないか。」とも書いておられます。
 日露戦争の勝利(本当の勝利とは思 いませんが)を勘違いして、日本の本当の実力を忘れてしまった日本人の姿が垣間見えま す。なんでそうなったのでしょうか?一部のトップだけの責任なのでしょうか。 日露戦 争後のポ−ツマス条約締結時の大衆が見せた狂気が太平洋戦争まで持続した感じがします。  軍部の暴走との見方もありますが、やはり一般大衆の雰囲気が有ったように思います。  それに比べ、日露戦争当時の日本を背負っていた方々の平衡感覚、現実を見る目の鋭さ、 大衆に迎合されない世界観等、今一番渇望されている事が行われていたように思われます。
  では現在はどうでしょうか。政界、財界、官僚の中の不祥事が毎日新聞紙上をにぎわして いる現実があります。日本人はこの様な民族であったのでしょうか。確かにアジア的な文 化を背景に持った民族ですから、ある程度の事は許されるでしょう。我々はピュ−リタン ではなく、「水清ければ魚住めず。」の感覚を持った国民であることも否定できません。
 でも限度があると思われます。武士の心とは非常に難しく、人によって違うこともあるで しょう。でも我々の世代の人々ならば何となく分かり合える何かがあるはずです。 (あまりにも日本人的発想ですが) この様に考えてきて、フト我に返って、我々が何が 出来るのか、我々一般庶民として何をしなければならないのか、一度考える時に来ている のではないでしょうか。 我々が現実から逃避し、仕事に埋没し、見えている物も見えな い振りをしていないでしょうか。
 私の場合は、現在単身赴任ということもあり、子供達と もこのことはなかなか話し合えません。(自分の子供は親父の言うことなど聞こうとはし ませんが。)だからと言っては何ですが、会社あるいは取引先、親戚の若い人達と時々話 し合っております。(親父の言うことは聞かなくても、他の大人の言うことは割合と聞い てくれます。) そこで考えさせられるのは、我々の行動が若い人達、子供に影響を与え ていることです。我々が今一度襟を正し、自分の行動を振り返り、武士の心からかけ離れ ていないかどうか、チェックする必要があります。
 社会が悪いのではなく、我々自身の 行動が問われているのです。 日本は「恥の文化だ。」と言われておりましたが、いまで は厚顔無恥な輩が我々の世代でも多くなっていないでしょうか。特に社会的に上になれば なるほど、相手の事を考えず、我が儘になって行きそうな感が有ります。 私自身も十分 に気をつけなくてはと思う今日この頃です。 つまらないことを書きました。 今回はこ の辺で失礼します。