バナー

会員各位 リストマーク

OBOG会親睦台湾旅行
Report 2

平成22年4月4日
3月27日の朝、
昨晩は熟睡したので爽快に目が覚めました。
バイキングの朝食も美味しくいただくことができました。

朝9時出発ということで、同室の山口氏とロビーに降りていくと
水野氏がバスを用意して待っていました。

その日最初に立ち寄ったのは行天宮です。
やはり春節、多くの参拝客で賑わっていました。
天宮の係りの人からお線香をもらって私たちも一緒に参拝させて戴きました。

謝(シェー)さんの同行は昨日だけの予定だったようですが
皆の希望により水野氏が電話して、その日もお願いするとなったのです。
そこで彼女は半化粧のまま(失礼、どうでもよいことですが)駆け付けてくれました。

行天宮脇の屋台店ではおっぱいの形をした菓子らしき品が並んでいました。
日本にも授乳の神様があるのでその類かと彼女に訊けば、
それとは全く関係なく単にお供え物として使うのだそうです。

謝さんを乗せて次に向ったのは忠烈祠(ヂョンレイツー)、
戦争などで亡くなった英霊が祀られている祠です。
到着すると折よく衛兵の交代式が始まろうとしていました。
こんな光景が観られるのもラッキーです。

交代式は5人の隊列を組んだ儀杖兵が、
ガシャン、ガシャン、という靴の金属音を響かせながら
大門から大殿に向かって行進を開始します。
大殿に到着した儀杖兵隊は任務に当たっていた衛兵2名と合流し
殿内の位牌に向かって敬礼すると、
銃を交換したりバトンのように回したりして一連の儀式を終えた後に
次の担当者2名を残し、また5名の隊列を組んで大門へ戻っていきます。
交代して警備に立つ衛兵は微動、瞬きだにいたしません。
まるで人形のようです。

この見物の後、台北から東へ約1時間、九份へと走りました。

ところで、台湾での交通マナーは中国本土で見られるほど悪くはありません。
日本に居るのと同程度と考えてもいいでのではないでしょうか。
それに車はどれも日本製ばかり、
国内での国産車の割合に比べても、むしろこの国の方が多く走っていると思われます。

さて、九份の近くまで来ると週末だからか直接一般車を乗り入れることが出来ず
僅かな区間を公共のバスに乗り換えなければなりませんでした。

老街の入口から参道のような坂道を歩いて登っていくと
みやげ物や特産品、食べ物などの店が処せましとひしめいて
路地は観光客でごったがえしていました。

そもそも九份というのは昔9世帯しかこの村に住んでおらず、
食料調達にいつもまとめて9件分を頼んでいたことからこの地名が付けられたそうです。
日本統治時代には金鉱として栄えていましたが金は掘り尽されて
その後は寂れた町になってしまいました。
ところが、この町がベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「悲情城市」のロケ地になって復活し
更には「千と千尋の神隠し」のイメージそっくりといわれる街並みから
観光客が押し寄せるようになったとのことです。

老街の坂道を登り詰めたところにクロスする路地。
これを右に折れると、
降りる石段に沿って赤提灯が提げられたレトロな建物が目に飛び込んできます。
「あっ、ここだ!あのアニメのシーンは・・」

私たちの昼食会場はこの湯婆婆の屋敷とされる阿妹茶酒館で昼食をすることになっていたのです。
食事は台湾料理で、皆でテーブルを囲みアワビなどの美味を楽しみました。

やがて、立ちこめてきた霧が窓から流れ込んで
宮崎駿の世界へスリップしたかに、それは不思議な雰囲気でした。
そして、その帰り際のことでした。
老街の入口で皆が待ち合わせる約束でしたが、
時間になってもひとりが一向現れない、
他の人に訊くと彼はもう先に来ているはずだと言う、
「携帯電話を掛けても出ない、本当に神隠しに遭ってしまったのだろうか・・・」
そんな出来事もありました。


さて次はいよいよ須貝氏と石垣氏による献奏に期待のテレサテン・メモリアルを訪れます。



  

  

  

 

  アイコン
ホーム
アイコン
メール