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OBOG会親睦ベトナム旅行(2)
Report 2

平成24年3月10日
ベトナム旅行2日目はホーチミン廟の観光から始まりました。

朝から曇り空で
しばらくの間、傘を差すほどではなかったけれど霧雨模様でした。
私たちのバスがホーチミン廟まで乗りつけると
廟に入場するため、長い観光客の列が出来ていました。

カメラは持込が禁止されているのでガイドさんに預けます。
入場ゲートでは警備員が私の腰の携帯バックを見て
「カメラじゃないか?」と訊かれたので
携帯電話を出して見せると
「よし大丈夫だ」と言われ、通ることができました。
ところが少し進むと
また別の係官が訊いてきました。
何度も同じことをさせるなよと言いたいですね。
それにしても、カメラがいけないのに
カメラ付きの携帯電話がOKというのもよく分かりません。

いよいよ廟の安置室へ入るという
直前のところでおしゃべりをしていたら
警備員が私たちの方へ近づいてきて無言のまま足を止めたので
早速口を閉じました。

総大理石造りの廟は ハスの花にかたどられていて
内部にはベトナムの民族的英雄ホーチミン元主席の遺体が
ガラスケースに入れられて安置されています。

廟を出てから道なりに歩いて行くと
ホーチミン氏が1969年まで住んでいた家が残されています。
1958年に建てられた木造高床式の住居で
書斎や寝室内の小さな木の机、簡素なベッド、愛読書や時計などが
生前の佇まいのまま見られます。
素朴で庶民的だった故人の人柄を偲ばせます。

ホーチミンは「ホーおじさん」と呼ばれ
子どもたちからもたいへん親しまれていた人ですが
派手なことは好まなかったようで
ソ連から贈られた高級車にも彼自身は乗らなかったそうです。
また、個人崇拝につながる墓所や霊廟の建設も
望んではいなかったといわれています。

このホーチミン廟から歩いてすぐのところに一往寺があります。
一柱寺は、李朝の太宗(リー・タイ・トン)が1049年に創建した楼閣で
1本の柱の上に仏堂を載せたユニークな形から
この名で呼ばれています。
太宗は蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見て
間もなく子供を授かかりました。
太宗は夢の観音に感謝して
ハスの花に見立て、この寺を建立したと言い伝えられています。
ガイドさんの説明によれば、
元来のものはフランスとの戦争で焼かれてしまって
現在柱はコンクリートで造られていますが
近い将来、この柱を菩提樹の木で造りなおし再現するそうです。

仏堂は小さいがベトナムを代表する古刹であり
ハス池の中に浮かび立つ姿は優雅です。

次に訪れたのはベトナムの知の象徴、文廟です。
文廟とは孔子廟の違う呼び方で、ハノイの文廟は1070年に建立されました。
その後、1076年には国内初の大学・国子監が敷地内におかれ、
王族・貴族の子弟や官僚が学んでいました。

漢字がいたる所に見られ
この国がかつて漢字圏であったことを知らされます。

奥へ進んでいくと、3つ目の門に行き当たります。
この門を奎文閣というのですが
昨日の水上劇の舞台でも見ることができました。
実はこの奎文閣こそハノイのシンボル。
ハノイ市のマークは、この奎文閣のデザインなのです。

この奎文閣をくぐると、大きな池があり
その周囲に亀の背に乗った石碑がずらっと並んでいます。
これらの石碑は15世紀以降約300年間に行われた
科挙試験合格者の名前が刻んだもので
亀は知の神様だそうです。

今は重要文化遺産にされ柵で仕切られているので
これらの石碑に触れることができませんが
私が3年前に訪れたときには
亀の頭の上にお賽銭が置かれているのを見ました。

それに加えて、ベトナムの通貨ドンはインフレが進んだせいか
流通価格の桁数が非常に大きくなって
小銭のコインは2年ほど前から廃止されたとのことで
お賽銭が使いにくくなりました。
ちなみに為替レートは
10万ドンを4百円で計算すると分かり易いようです。

話が少し反れますが
以前この地で遇った、父がインドネシア人だと言う日本人女性が
こんなことを話していました。
「ベトナムの紙幣はプラスチックだから
ダイビングするとき、持っていても濡れないからいいわよ。
オーストラリアもダイバーが多いから、プラスチック製なのかしら?」

さて、文廟の傍にあるシルク製品のお土産店に寄った後、
ハノイの中心部ホアンホエム湖へ向かいました。



 


ホーチミンが住んでいた家
 

 


一本柱のお寺
 

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