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OBOG会親睦ベトナム旅行(3)
Report 3

平成24年3月10日
ホアンキエム湖はハノイ市の中心でもあります。

伝説では、黎利が神から魔法の剣を授かり
その剣によって明との戦いに勝利しました。
その後黎利は、湖の上で金の大亀から
平和になったので持ち主である竜王に剣を返すように啓示され
湖の中心近くにある小島で剣を返しました。
そのときから湖は「剣を返還した」と言う意味の
ホアンキエムという名前で呼ばれるようになったそうです。

ベトナムは今バブル期で、ガイドさんの話によれば
この湖の周辺は1u当たり1千万円すると言っていました。
この価格は新宿辺りよりも高いわけなので
1千万ドンの聞き違いかもしれません。

次に訪れたのは、ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)、
1888年に建てられたというゴシック式建築の特徴である窓の尖塔アーチが
フランス支配時代を象徴しているといえましょう。
中に入ると、ちょうど日曜日のミサの時間で
司祭がフランス語で説教をしていました。

テト(旧正月)の時期には日本での門松のように
金柑を飾るのがこの国の風習のようですが
以前その時期に訪れたときには
大きな金柑の木がこの教会の祭壇の前にも置かれていたのが
印象に残っています。

途中の市街で車中から観た黄色い博物館の建物は
ベトナム戦争時代、アメリカ兵捕虜が入れられていたホアロ収容所、
当時ハノイには外国人が泊まれるようなホテルなどありませんでしたので
そこは唯一、外国人が寝起きする
ハノイ・ヒルトンと呼ばれていたそうです。

旧市街の車中観光の後、昼食にレストランに入って
フオーのランチをいただきました。

南国とはいえ3月のハノイは
まだ、肌寒い季節です。
暖房設備のないレストラン内も少し冷え
若いウエイトレスはコートを着込んでいました。
日本ならちょっと違和感のある光景です。

レストランの部屋の壁に『MEI HUA』と書かれた札が架かっていたので
どういう意味かそのウエイトレスに尋ねると
その部屋の名前で、梅の花のことだと教えてくれました。
中国語の「梅花」の発音と一致するわけです。

昼食のあとは、スケジュールではフリーになっていましたが
ガイドさんにオプションで頼み
別の観光スポットを案内してもらうことになりました。

まず訪れたのはハノイ戦争博物館です。
この博物館にはインドシナ戦争で使われた兵器や当時の資料が拝観でき
屋外にはミグ戦闘機や戦車などが展示されています。
博物館のシンボルは写真の国旗塔ですが
その脇には戦争の残骸で創られたオブジェが並んでいます。

思えば、ベトナムはずっと悲惨な戦争の歴史でした。
フランスの支配の後には日本軍が占領したことがあります。
太平洋戦争終結によって日本の兵が引き上げると
再びフランスが占領し、
そしてその軍との戦いの末、フランスが撤退すると
今度はアメリカが入ってくることになります。
私たちが知るベトナム戦争は、南北に分裂しての泥沼の戦いでした。

やがて北軍の進攻によりサイゴンが陥落します。
しかし、その後もベトナム人の生活は苦しい状況が続きました。
戦争に栄光などありはしません。
ガイドさんの叔父さんは戦死され
お父さんはベトナム戦争後に餓死されたそうです。

ドイモイ政策により生活が少しずつ良くなり
都市部以外に電気が点いたのは、つい最近のことだといいます。

展示物を眺めていると
若い女性が「こんにちは」と私たちに声を掛けてきました。
どこかで見た覚えがあるなと思えば
先ほどのレストランでウエイトレスをしていた
可愛らしい女性ではありませんか。
「どうしてここに?」と訊くと
「研修です。」と答えました。
詳しくは分かりませんが、ガイドを志しているのでしょうか。

私たちのガイドさんが
「ここにいるおじさんたちなら日本へ連れて行ってくれるよ。」と言うと
「日本行きたーい!」と彼女は愛想よく返してくれました。

それにしても、40年前にはこんな若い女性も
戦闘に参加していたのだと考えると本当に心が痛みます。



 



 


 


 


 


 

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